強くなりたい―そう云ったのは俺だ。  そう。こいつに訓練を頼んだのも俺だ。  だが、どうしてだ? ちっとも強くなれる気がしない。  どれだけもがいても、こいつには勝てない……。 「もう終わりか?」 「ふざけんじゃねえ! まだだ!」  口だけは一人前だ。そう自分で蔑む。  でも判っている。もうそろそろ俺も限界だ。  ――いや、認めねぇ。俺はこんなんで終わるワケじゃないはずだ。  こいつを超えないとヤツは倒せない。  認めねぇ。俺がこんなに弱いなんて。  ふらりとよろめき、体制を立て直すと、こいつの後ろに立っていた。  あわてて間合いを取り直し、再びこいつの前に移動する。 「……つまらぬ」 「うるせぇ!」  ありったけの力で地面を蹴り、一気に間合いを詰める。  真正面からいく気迫と勢いで囮をつくり、下半身をひねらせ左の死角から一発放つ。  まただ。  さっきの捻りは上半身へと移動し、一回転して右肘が狙う。  これも囮。本物はもう半回転して追いついてきた左膝。  ではなく、腰のバネを使って思い切り蹴り上げる、遠心力のある左足。  まただ。  一呼吸おいたあと、右を横なぎに溜め込む。  もう下手な偽はつけねぇ。これ一本で決める。 「あああああああああああああ!!」  死。  一瞬のうちに過去の思い出が脳裏を突っ走っていった。  明日生きるのも必死だった頃。  初めて会ったアホと思いっきり殴り合いした。  暇つぶしに女に声かけていったら、相手いっつも本気にしてたっけ。  あの女だけは調子狂ったなぁ。  練習サボると暇なもんだから、女遊びしないときは書庫にこもってたっけ。  いつも俺と練習したがってたアイツ。  たしかに、アイツとの戦いの駆け引きは成長してるっていう感があった。  でも今はどうだ。  実力の違いすぎる相手では、逆に自分の無力さを知るだけ。  今ならアイツの気持ちが判る。  強くなりたかったんだ。 「動けぬか」  相手の声はどこか現実味が無い。 「我は何もしていぬぞ」  よく見てみれば、たしかにこいつは最初のとおり突っ立っているだけだ。  今のはなんだ。  たしかに今、"ヤツの武器が俺の喉を貫いた"と思った。  "気迫だけ"で俺を殺したのか―― 「話にならんな。  云うたはずだ。どこからでもかかってこい。どんな卑怯な手を使ってもかまわんと」  違う。汚い手を使わなかったんじゃない。  使えなかった。  認めたく、ない。 「な、ん……」  俺の口からは、まともな発音は出てこない。 「なん、で……あたらねーんだ……!」  何故。  それは事実上の敗北宣言。  "我に攻撃をかすりでもさせてみろ。我の足はここから離れぬ"ただこれだけが課題だった。  足を狙えばいい話だ。が、俺はしなかった。  理由。最初は、余裕で攻撃をあてる自信があったから。  時間が経つにつれ、それは恐怖へと変わった。  それを使ったら 唯一俺を護っている自尊心が潰れてしまいそうで。  常識で考えれば、足さえ狙えば必ず当たる。  でも、こいつの強さは常識では考えられない。  きっと足を狙ってもこいつにはかすりすらしない。それは俺とこいつとの決定的な格の違いの現れとなる。  それは時間とともに確信へと変貌していった。 「簡単な話だ。貴様が下手なだけだ」  予想していたものより最も単純明快で、そして克服が困難極まりない答え。  体中の疲れがどっと増す。 「……、…、………」  もはや悪態さえも言葉にならない。  ぶっちゃけ、こいつの手首を掴んで押し倒すくらい、肉体的な体力はある。  だが、さっき一度"殺された"ことでもう指一本動かす気すらない。  一番の動力源。"精神"を完全に殺がれてしまった。 「まだ認めぬか?」  俺を見下ろすこいつの眼は、いつもと何ら変わっちゃいない。  だが、俺の眼には、虫を哀れむ虎の眼と映る。  暫く前の相手の声が再生される。 『早い話がお前に一発入れればいいんだろ?』 『ああ。できたなら、貴様が強いと認めてやる。  しかし、できなかった時は――』 『お前が強いと認めろって?』 『否。貴様が貴様自身を認めるんだ。  自分は弱い人間だ、とな』  頬に冷たい感触があった。  それは一筋だけではなく、何本もそこを伝う。  止めようとしても、それは無駄な抵抗にしか過ぎず、ただただ地面を濡らしていくだけだった。  悔しい。こんなところで、こんなヤツに。なんて情けねえ。  畜生、畜生、畜生。畜生!  畜生。俺がこんなに弱いなんて……。 「落ち着いたか?」  いつのまにとりにいったのか、奴の手には茶菓子と茶があった。  突っぱねたいところだったが、らしくないこいつの気遣いに動揺したのもあって、受け取ってしまった。  そこらの岩に腰掛けて茶をすする。あーじじくせぇ。  俺はこっちから声をかける気にはならなかったし、こいつももともと饒舌な方じゃない。  暫くの沈黙。 「本当に強くしてくれんのかよ」  俺のほうがそれに耐え切れなくて、つい不満を口にした。  だが、相手は何も答えなかった。 「今回なんて、単に自信喪失しただけじゃねえか……」  一度開くと、口ってものは滑りやすくなるものだ。  独り言のような俺のつぶやきに、相手は深くため息をついた。 「判らぬか」  まるで気付いていて当然、というような口調に、少しばかり、いや、かなり腹が立った。  当たり前だ、と反論しようと俺が口を開く前に。 「強いと思っている奴はそれ以上に強くなれん。  それだけだ」